http://harapeko.asablo.jp/blog/ の別館的存在ながら、その存在意義は謎に包まれている。
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ちょwwwwwギャバンキタコレwwwwwwwww 究極の「便利な言葉」ですね。>「愛」 勘違いされやすいのは、恋愛感情の表現に用いられるシーンがカルチャー・サブカルチャーを問わずあまりにも多すぎる為に、恋愛に限定されるもの、とまで思う人は少ないにしても、少なくともそれが「好き」という感情を前提にしたものだと思われがち、ということです。 実際のところ、その対象を好きか否かに係わらず、愛することはできます。それどころか、ちっとも好きじゃない、視界に入るだけで嫌気がさすようなものであるにも係わらず、それでもどうしてもそれを愛して止まない、ということもあるのではないでしょうか。 糞ゲー愛とか、糞ゲー愛とか、糞ゲー愛とかwwww 重要なのは「関係性」なのだと思います。 人を愛すると言うことは、その人と何らかの関係性を持つと言うことを、受け入れると言うこと、なのではないでしょうか。 平たく言えば「付き合い続ける」ということですが、もっと言えば、「付き合い続けることを前提にして生活し、あるいは行動する」と言うことでしょうか。 家族を持ち、子どもがいる親であれば、子どもがいることを前提とした生活をし、行動をしなければ、その子らをまともに育てることはできなくなってしまうかも知れない。私は家庭を持っていて、息子がいて、息子はまだ小さくて、よくおねしょをする、いつもおやつを食べ過ぎて晩飯にほとんど手をつけない、アニメとゲームが大好きだ、外で遊んでくるといつも体中泥まみれにして帰ってくる、買い物に連れて行くと決まって玩具売り場でだだをこねる、etc...etc...、そういうことのあれこれを受け入れつつ、それらを「前提」にして行動し、あるいは生活する/してしまうこと。 愛ってのは、そういう人の行動原理を、それに伴う感情とセットで何となく規定した表現なんじゃないかと思う。 オタクって言う生き物がいて、彼等は何らかのカルチャー、サブカルチャーを愛して止まない人種だ。 アニメオタクはテレビ番組表に記されたアニメ放映スケジュールを前提に生活するし、ゲームオタクは積みゲーを日々消化することを前提に生活する。鉄道オタクは写真に納めたい臨時電車の発着日時を前提に旅行のスケジュールを組むし、走り屋は自慢のマシンを気持ちよく走らせることを前提に住む場所を選ぶ。 彼等の中には容易に人を愛せない人も少なくないけど、その代わりに、自分の選んだ生き方をこの上なく愛している人たちだと思う。 ひとたび彼等の「愛するもの」について語らせ始めてしまうともう止まらなくなっちゃうのが玉に瑕ですが。w スポンサーサイト
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